小阪幸四郎、今夜もスイート。#01|ザ・リッツ・カールトン大阪

JR大阪駅西口から、大阪ステーションホテルへの行き方

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大阪・梅田の高級ホテルを舞台にしたフィクション企画「大阪・梅田 高級ホテル妄想宿泊」。

主人公は、ホテルを住まいにして暮らす小阪幸四郎。今夜選んだのは、ザ・リッツ・カールトン大阪です。

幸四郎が泊まるのは、もちろんスイートルーム。秘書のテルさんは一般客室へ。

実在するホテルの客室やレストラン、サービスをもとに、「こんなホテル暮らしができたら」という一夜を描きます。

第1回は、ザ・リッツ・カールトン大阪。
小阪幸四郎、今夜もスイート。



小阪幸四郎、今夜もスイート。#01|ザ・リッツ・カールトン大阪


「テルさん。ボク、大阪にいる」

午後二時を少し回ったころだった。

電話の向こうで、わずかな沈黙があった。

「……それは知っています」

「知ってた?」

「昨日、新大阪駅から電話をかけてきたじゃないですか」

「ああ、そうだった」

「今日は、どちらに?」

「まだ決めてない」

また沈黙した。

幸四郎は、この沈黙が嫌いではない。

照穂が怒っているのか、呆れているのか、それとも単に次の言葉を選んでいるのか。

長く一緒にいるが、いまだによく分からなかった。

「条件は?」

「梅田」

「それだけですか?」

「スイート」

「それは条件ではありません。幸四郎さんの場合、いつものことです」

幸四郎は笑った。

大阪駅の西側を歩いていた。

八月の大阪は暑い。

ニューヨークの夏も暑いが、大阪の暑さには逃げ場がない、と幸四郎は昔から思っている。

「じゃあ、リッツにしよう」

「ザ・リッツ・カールトン大阪ですね」

「そう」

「お部屋は?」

「テルさんに任せる」

「では、エグゼクティブスイートにします」

「なんで?」

「76平方メートルあります」

「狭い」

「一人ですよ?」

「一人だから広い部屋がいいんだよ」

「その理屈、何年聞いても理解できません」

幸四郎は立ち止まった。

「一番いい部屋、空いてる?」

「確認します」

電話が切れた。

十五分後、照穂からメッセージが届いた。

The Ritz-Carlton Suite

幸四郎は、その下に並んだ文字を読んだ。

233㎡。

リビングルーム。

ダイニングルーム。

ベッドルーム。

パーラー。

キッチン。

そして、グランドピアノ。

ザ・リッツ・カールトン大阪が最高級のスイートとして用意する一室だった。

幸四郎は電話をかけた。

「これにしよう」

「そう言うと思いました」

「テルさんは?」

「デラックスです」

「狭くない?」

「幸四郎さん」

「はい」

「私は寝るだけです」

「ホテルの人間が、ホテルで寝るだけって言ったらダメじゃない?」

「元、です」

照穂は以前、日本のホテルで働いていた。

いつかホテルの仕事に戻るつもりでいる。

幸四郎の秘書をしているのも、本人に言わせれば「長い研修」のようなものだった。

もっとも、こんな研修を用意できる会社は、そう多くないだろう。

「角部屋にしました。街も見えます」

「それはいい」

「幸四郎さんの部屋代で、私の部屋が何泊取れるかは計算しないことにします」

「計算したの?」

「しません」

「した顔してる」

電話が切れた。

ザ・リッツ・カールトン大阪は、梅田二丁目にある。

客室は高層階にあり、ホテル全体には18世紀の英国貴族の邸宅を思わせる世界観が漂っている。

幸四郎は、このホテルの空気が嫌いではなかった。

新しいホテルには、新しいホテルの良さがある。

だが、新しければいいというものでもない。

ホテルには、人間と同じように歳の取り方がある。

うまく歳を取るホテルと、そうでないホテルがある。

「どうです?」

いつの間にか、照穂が横に立っていた。

「何が?」

「久しぶりのリッツ大阪」

「まだ玄関だよ」

「幸四郎さんなら、玄関で何か言うかと思って」

「じゃあ、一つ」

「はい」

「涼しい」

照穂は黙って歩き出した。


写真は、ザ・リッツ・カールトン公式ホームページより


部屋に入って、幸四郎は少しだけ立ち止まった。

233㎡。

数字では知っていた。

だが、ホテルの客室は数字だけでは分からない。

広い。

というより、部屋がいくつあるのか、一瞬では把握できない。

リビングがある。

その先にダイニング。

パーラー。

キッチン。

そしてグランドピアノ。

「一人で、どうするんですか」

後ろから照穂の声がした。

「来たの?」

「お部屋を見に」

「テルさんの部屋は?」

「見ました」

「どうだった?」

「とても快適です」

「それだけ?」

「一般客室を普通に快適に作るのは、大切なことです」

幸四郎は振り返った。

「ホテルマンみたいなこと言うね」

「だから、元ホテルマンです」

照穂は部屋の中をゆっくり見て回った。

グランドピアノの前で止まる。

「弾けるんですか?」

「弾けない」

「では、これは?」

「インテリア」

「233平方メートルの部屋に泊まって、グランドピアノをインテリアと言える人は、そんなにいません」

「弾こうか?」

「やめてください」

「まだ弾いてないよ」

「だから止めています」


写真は、ザ・リッツ・カールトン公式ホームページより


夕食は5階のフランス料理「ラ・ベ」にした。

幸四郎が選んだのは、その夜に用意されていたコースの中でも、フォアグラやオマール、和牛などを楽しめるものだった。

「珍しいですね」

席について、照穂が言った。

「何が?」

「一番高いコース」

「たまたま食べたいものが全部入ってた」

「そうですか」

「信じてない?」

「幸四郎さんは値段を見ませんから」

「見るよ」

「注文したあとに」

幸四郎は笑った。

これは事実だった。

値段を気にする必要がないことと、値段に興味がないことは、少し違う。

幸四郎は値段を見る。

ただし、それを理由に選択を変えることがほとんどないだけだった。

料理が進む。

幸四郎は黙って食べる時間が長かった。

照穂も同じだった。

二人は恋人ではない。

家族でもない。

仕事仲間というのが、たぶん一番近い。

だから、無理に会話を続ける必要もなかった。


写真は、ザ・リッツ・カールトン公式ホームページより


食事のあと、二人は「ザ・バー」へ寄った。

「テルさん」

「はい」

「明日は?」

「まだ何も入れていません」

「じゃあ、ゆっくりする」

「チェックアウトは?」

「遅くできる?」

「確認しておきます」

「ありがとう」

照穂はグラスを置いた。

「ところで幸四郎さん」

「何?」

「明日の夜は、どこに泊まるんですか?」

幸四郎は少し考えた。

ホテルを出れば、次のホテルへ行く。

それが、いつの間にか日常になっていた。

家を持とうと思ったことがないわけではない。

ただ、ホテルにいる方が落ち着いた。

理由は自分でもよく分からない。

「明日になってから考える」

「そう言うと思いました」

午後十一時。

照穂は自分の部屋へ戻った。

幸四郎は233㎡のスイートに、一人残った。

グランドピアノがある。

ダイニングテーブルがある。

キッチンがある。

人を呼べば、小さなパーティーくらいできそうだった。

もちろん、誰も呼ばない。

幸四郎はソファに座り、ノートパソコンを開いた。

ホテルに来ても、結局これをやっている。

最近作っている小さなプログラムの続きを少し触った。

金になるわけではない。

金にする必要もない。

それが、幸四郎には心地よかった。

一時間ほどして、パソコンを閉じた。

窓の外に大阪の灯りが広がっていた。

子どものころ、この街へ来るたびに、祖母が言った。

大阪は面白いやろ。

その意味が、少しずつ分かってきた気がする。

幸四郎は立ち上がった。

そして、部屋の隅にあるグランドピアノを見た。

しばらく考える。

鍵盤のふたを開けた。

一本の指で、音を鳴らした。

ポーン。

思ったより大きな音がした。

幸四郎は慌ててふたを閉じた。

「……やめとこ」

233㎡の部屋に、再び静けさが戻った。

今夜の家は、ザ・リッツ・カールトン大阪。

しかも、スイート。

小阪幸四郎にとっては、それで十分だった。


照穂が泊まったというデラックスルーム

写真は、ザ・リッツ・カールトン公式ホームページより



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